腸は「第二の脳」とも呼ばれています。腸は独自の神経ネットワークを持っており、脳からの指令がなくても独立して活動することが出来るのです。
「脳腸相関」とは、脳と腸が相互に自律神経、ホルモン、サイトカイン等の情報伝達物質を通して伝え合い、双方向的に影響を及ぼし合うことをいいます。
腸は独自の神経系を持っており、その数はこのニューロンの数は脊髄や末梢神経系よりも多く存在しています。
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神経細胞と腸内環境の関わり
腸には一億個に及ぶ神経細胞ネットワークがあります。
実は腸内の神経細胞数は脳の次に多いのです。
このネットワークの形成に腸内細菌が関わっており、思考や情動に大きく影響を与えると言われています。
腸が唯一持つ「腸神経系」
脳は迷走神経を通して、生体、心臓、肺、消化器官といった臓器に指令を送っていると言われています。
更に消化器官の神経系のうち80~90%は脳に情報を送っているのです。
腸は「腸神経系」と呼ばれる独自の神経系を持っています。心臓等の臓器は脳からの指令を受けて動いています。
しかし、腸だけは脳からの指令を受けなくても、体内で独自に動いているのです。
腸には神経細胞が約一億個あり、そのうち脳と繋がっているのは2000個なのです。
例えば身体を動かせなくなってしまった時でも、腸だけは機能を継続することが出来るのです。
腸は食品が有害なものか見極める
腸は脳には出来ない常に正しい判断力を持っており、適正に処理しています。脳は五感で捉えることによって目の前の食事を摂取する行動を選択します。
しかし、体内に入り食品が腸まで行き届くと、更に食品の細かい部分を察知します。
身体に安全かどうかは五感だけでは完全に捉えられませんが、腸は五感から完全に捉えることが困難な食品の安全性を見極められる為、身体に有害なものが入った場合は拒絶反応を起こし、嘔吐や下痢にて排出します。
このため、腸は脳から独立した神経システムを持っている可能性があります。
腸と心の関係
腸には精神疾患との関連性を持っていると言われます。
神経伝達物質
脳内の神経伝達物質であり、精神の安定に影響を与えるセロトニンは、約80%が腸内で作られます。
このセロトニンの生成には腸内の細菌が関わり、更にドーパミンなどの神経伝達物質生成にも大きく関わっていることが知られています。
セロトニンやドーパミンが減るとストレスを抱えやすくなり、鬱病や下痢の原因となる他、腸内環境の悪化を招いてしまいます。
ドーパミンとセロトニンはトリプトファンという必須アミノ酸から合成されますが、トリプトファンが合成されるには腸内細菌を増やすことも必要です。
ただ、ドーパミンは高カロリーのものを摂取する時にも沢山分泌されます。
砂糖や脂質を摂ることによってドーパミンが分泌し、快感を感じることからこれらは貴重なエネルギー源として扱われてきました。
しかし、これが習慣化するとアルコール、ファーストフード等の高カロリー食品の常食により、肥満や生活習慣病を招いてしまいます。
そうならないためにも蛋白質や良質な脂質、発酵食品を摂取して、自身の食欲コントロールに努めることが大事です。
しかし、腸は正直なので、身体に悪い食生活を続けていると体調不良を訴えることに繋がり、下痢や便秘、その他病気を引き起こします。
また、心身が弱くなると腸の働きも弱ってしまいます。
グルテンやカゼインとの関連性
グルテンやカゼインは人によって合わない場合があります。
これらに耐制がない疾患として、セリアック病やリーキーガット症候群が挙げられます。
セリアック病はグルテン不耐症の症状の一種であり、下痢や腹痛などの小腸の障害によって栄養吸収障害を起こします。
リーキーガット症候群はグルテン不耐症やカゼイン不耐症に見られる症状であり、腸の粘膜が弱くなることによって腸に穴が開き、腸に障害をもたらします。
腸は本来、毒素や有害物質の侵入を防ぐことによって身体を守る働きがありますが、リーキーガット症候群は腸に穴が開くことによってこのような栄養吸収障害を起こしてしまいます。
これが脳に影響を及ぼして、精神疾患やADHDを発症すると言われます。
GABAの産生
また、腸内細菌にはGABAを産生する菌があることも確認されています。
この腸内細菌が不足すると自閉症に似た症状が現れ、異常行動を起こすこともあります。
腸内細菌の減少はセロトニンや学習記憶に関わる蛋白質の減少にも繋がってしまいます。
また、腸内細菌は人の為に役立とうとする「向社会性」にも関連しているそうです。
腸は身体の全てを司るという説も
脳腸相関は、人間が生き延びる上で最低限必要なものであることが考えられます。
そこには食事が左右されることから、人間の腸は自分の身体にとって本当に必要なものを選択する能力を本来持っていることが伺えます。
また、人の為に役立とうという生き方は本来人間としてなすべき生き方ではないでしょうか。